
「アラン・デュカス プロのための研修プログラム」
世界各地で多彩なレストランを展開するアラン・デュカスはプロデューサーとして数々の成功を収め、そしてまた教育者としても才能を発揮しています。デュカスのプロのための研修プログラムはパリ、ニューヨーク、東京の3都市で開かれており、東京は2005年から始まりました。2006年からはケイ・コジマシェフがエグゼクティブ・シェフ・プロフェッサーに就任しています。
コジマシェフは1988年に渡仏し、ミシェル・ゲラール、ピエール・ガニェール、アラン・シャペルのもとで経験を積み、1992年アラン・デュカスと出会います。モナコのルイ・カーンズでスーシェフ(副料理長)を勤め、アラン・デュカスをして、「世界で最も私の料理哲学を理解し実践する日本人シェフ」と言わしめる存在です。 私が参加した研修は午前9時から夕方4時まで、2日間行われました。ルイ・カーンズで作られているフォン(出し汁)やブイヨン、ジュなどを中心に、野菜料理、オマール海老、子牛などの料理をコジマシェフが説明し、時には質問に答えながら次々に作って行きます。
料理の基本になっているフォンやブイヨン、ジュに対するアラン・デュカスのエスプリをコジマシェフは丁寧に、丁寧に解説して下さいます。誠実な人柄がその言葉や動作の端々に見受けられ、最後までそれは変わりませんでした。
参加者は私を含め4人でした。名古屋でイタリアンのオーナーシェフをしている二十歳代の方。京都で結婚式場を展開している企業に勤める30歳代の料理人。岐阜で和食の店を何店舗か持つ40歳代の日本料理の経営者兼料理人。
初日にそれぞれの自己紹介が済んで、一番最初に調理場に入った時の事です。コジマシェフはもうすでに火にかけてあるブイヨンの灰汁をすくいながら、話はじめました。「沸騰させないように静かに煮ていきます。そうすればコンソメのように澄み切ったブイヨンになります。」私たち4人は一言も聞きのがすまいと必死にメモをとります。
「私は18歳でこの道に入りました。毎日がイヤで嫌で、今日やめようか、明日やめようかと思いながら過ごしていたのです。」と、コジマシェフは灰汁をすくう手を休めずに話し続けます。
「そして20歳くらいの時に見た専門料理で、地方の素晴らしい料理を見たのです。東京や大阪ではない田舎で、こんな料理を作っている人がいるんだと感動しました。その時に、自分はフランスへ行こうと決心したのです。」
私は、「この話は料理とは関係ないな。」と思い、メモを取る手を休めて大きな鍋をのぞきこんでいました。そうすると、コジマシェフの思いがけない言葉が耳に入ってきたのです。
「その店は、浜松のエピファニーという名前でした。」
それを聞いた時の驚きは私だけではなく、他の3人も同じでした。一同言葉を失い、みんなが私を見つめています。コジマシェフは続けました。
「あの頃、南竹さんはいろんな料理を専門料理で発表されていましたね。本人がいらっしゃるから言う訳ではありませんが、あの時に専門料理を見ていなかったら、私はここにいませんでした。申し込みをいただいた時から、20歳代の頃にあこがれていた料理人に会えると、今日の日を楽しみにしていたんですよ。」
こんなに嬉しかった事はありません。思いがけないコジマシェフの言葉で、「よし、もう十年は頑張ろう!」という気になりました。最近は料理教室や講習会などで教える事が多かったのですが、教わる事の楽しさを久しぶりに味わって、身も心もリフレッシュした研修でした。
小島シェフは現在「ベージュ・アラン・デュカス 東京」のシェフとしてご活躍中です。